包まれる

京都の嵯峨野に竹林がある。
背の高い竹林の中を石畳の遊歩道が通っていて、夏の折には涼しい風が吹き渡る。
枝と枝、笹の葉と笹の葉が擦れ合って、これが一つの流れるような風の音になる。
太陽がどんなに照り付けても、この竹林の遊歩道は少し光のトーンはダウンしている。
淡い光の中で風の音がサラサラと流れている。

音と緑のシャワーを浴びた経験はイタリアでもあった。
フィレンツェからバスに乗って、「シェーラザード」の第2楽章の穏やかな音色がよく似合う、トスカーナの草原の中を行く。

ヴォルテッラ。

古代エトルスキという民族が暮らしていた、草原の中の丘の上にある町である。
町のはずれには、古代ローマ時代の劇場があったり、600基以上の小型の納骨容器が収蔵されている有名な考古学博物館がある。

1泊した翌朝、バスに乗り、ピサへ向かう。
なだらかなジグザグの山道を下りてゆくと、一瞬物陰に入ったようになる。
そのうちバスが、森の中を走っていることに気付く。
バスの車窓から天を仰ぐと、チカチカと柔らかなフラッシュライトのような木漏れ日が点滅し、その後に淡く黒い斑点の影が過ぎ去る。
外から視線を車中に戻すと、窓際の席には、一面の影と光の乱舞があった。
その束の間の美しさは忘れがたいもので、はっとなり、これは宇宙ではないかと看取された。

光の乱舞を浴びた経験と音のシャワーの経験はどこかつながりがあるように思う。

大学生1年生の頃、所属したオーケストラでコントラバスをやっていたのだけれども、まだ1年もたたないというのに舞台の上に立つことになった。
ワーグナーの「ニュールンベルクのマイスタージンガー」序曲。
ついてゆくだけでヘトヘトになり、音程も何もあったもんじゃなくて、未消化で曲を終える。
バス椅子から腰を上げて、楽器を支えもち、正面を向く。
鳴っている。拍手が束になって正面からやってくる。
音のシャワーとはこの拍手の塊である。
一人ではなく多数の人が同じことを同時にする迫力がここにはあった。
それが賞賛の行為としてあるとなると、これを浴びた人間の中にある種の感動がわいてきても自然なことのように思われる。

緑と影と光、そして拍手の音。
ボードレールがいみじくも「万物照応」という言葉を言っていたことを思い出す。

私は宇宙を経験したことがあるのである。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-10-09 15:36 | 木陰のランプ