謎ということ
2014年 09月 22日「初めてにしては出来すぎてる」
東京文化会館の入り口を抜けて、上野駅に向かう道すがら語り合う。
大学生になって、オーケストラのメンバーとなり、人生で初めて生の海外の指揮者による演奏会を体験できた。これもすべて、友人吉村渓のおかげである。
彼は、生来の打楽器奏者で、オケではティンパニーを担当した。
アントン・ブルックナー「交響曲第7番」。終生忘れられない曲である。
こんなことを最近思うのである。ブルックナーならブルックナーの曲なり、人をどこまで他人が肉薄することができるのであろうか。カール・ベームの解釈したモーツァルト、バーンスタインのマーラー。自ずとそこで探求をチャレンジする人間の解釈の問題となる。
手記、手紙というのがある。モーツァルトの書簡集、ゴッホの書簡集。そこには彼らの肉声があるわけだが、それでもどれだけ彼らのことがわかるというのであろうか?
もしかすると、彼らのことは全く分からないかもしれないではないか?
それでも、人間は人間をわかろうとする。
これは人間が生存する限り続く本質的な営みである。
「好きか?」
「好きや」
一人の女性を二人の男が好きになった。
彼女が愛おしいことでは同じだったが、感じ方はまた違っていたはずである。彼女は二人の男を知ったが、二人の男たちは同じ女を知ったとは言い難い。そこには違いがあったように思う。
こんなことを大学生にしたものだから、好きな子でも、彼氏がいる女性なら求愛するチャレンジ精神は失せてしまった。失せるというより、避けてきた。どうもいつも片思いの、偏愛の、妄想の段階で終わってしまう。
奥手。分かろうとすることに疲れたのか、恐れているのか?
イタリアのフィレンツェのホテルで、コンサートを視聴した後に、彼は、Tシャツにパンツ一枚となり、横になった。書きかけの取材の原稿を机に置いたまま、彼は頭の後ろで腕を組み、天井を見つめていた。その眼に鋭さはあったが、視線がどこにあるのか全く分からない様子であった。
今でもかれのこの姿が瞼の奥に焼き付いている。忘れることができない。
彼は何をつかもうとしていたのか?未だに謎である。
音楽、女、人間がわかる、ということ。そこには謎がある。謎があるからこそ、人は分かりたいと思うのである。連綿とした繰り返し。
私はこの世の中に謎を残したい。
「毒蛇は急がない」
Bayartai!
野人
by yajingayuku
| 2014-09-22 20:16
| 木陰のランプ