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イタリア紀行(17)

知らなかった。フィレンツェとシエナからヴォルテッラまで路線バスがあるなんて・・・。遠回りした。電車でフィレンツェから西進してピサまで行き、そこから南下してチェチーナへ行く。チェチーナまでのティレニア海沿岸は、絶景で、途中海にせり出した城が駅の直ぐ横に建っていたが、とても美しい景色だった。山間部に居を構えているものにはこうした光景に憧れる。チェチーナからローカル線に乗り換え、今度は内陸の終着駅サリーネ・ディ・ヴォルテッラへ行く。問題は、駅前だった。目の前に広がるのは原野と林のみだった。途方に暮れていると、初老の夫婦が英語で話しかけてきた。「バスはありますか?どうすればいいでしょうか?」林の横に小さなバールがあったので訪ねてみると、もう直ぐヴォルテッラ行きのバスが来るというので切符を買ってバールの前でバスを待っていた。御夫婦は、アメリカ人で、ニューヨークから船に乗りリヴォルノに寄港し、噂を聞いてここまで来たらしい。夕日の中、バスは草が風でたなびく幾つものなだらかな丘の間を通り抜けヴォルテッラの頂に向かう。この光景は、イタリアで1,2位を争うほど美しいものとして私の記憶に深く焼きついた。

町に到着すると、ガルナッチ・エトルスキ博物館まで御夫婦を案内し、ホテルにチェックインした。まだ開館しているので、美術館のロッソ・フィオレンティーノの「キリスト降架」を鑑賞した。近くのパラッツォ・プリオリは、フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオのモデルになったといわれている建物である。そうこうしていると、腹が減ってきたので、ピッツァ屋でピッツァを鱈腹食べた。少し路地を散策して明日のために早くホテルに戻りシャワーを浴びて就寝した。

翌朝、ホテルの食堂で朝食を済ませ、ガルナッチ博物館に向かう。ここはエトルスキの小型納骨容器の大コレクションがあるところとして有名である。優にその数600基以上、貴重な資料が集積している。入り口で研究者であることを学芸員に告げ、M.ニールセン先生の研究に興味があると言うと、笑顔で私を歓迎してくれた。デンマーク人のニールセン先生は、エトルスキ納骨容器研究の第一人者で、エトルスキの家族史・女性史に詳しい先生である。1階には、先史時代の先行文化の埋葬状況や灰壺や骨壺が紹介されており、併設して最も新しい時代の納骨容器が幾つも展示されていた。2階に上がると、ジャコメッティも参考にしたと言うあの有名な「オンブラ・デッラ・セーラ」の青銅像が展示されている。
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納骨容器の部屋に入ると、容器に施された彫刻のテーマごとにグルーピングされて納骨容器が展示されていた。中でも、容器の蓋部に彫刻された夫婦の彫像は、エトルスキ彫刻の傑作のひとつとされ、長く寄り添う夫婦の像として伝えられてきた。研究者の中には、この男女が死者と冥界の悪魔であるという者がいたり、祖先を象徴しているという者もいる。
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彼岸への旅立ち、饗宴場面、彼岸での再会、そしてギリシア神話の主題などなど、興味をそそるテーマが続く。
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また納骨容器の制作場の再現などもあり、納骨容器についての詳しい情報が満載である。午前中、午後と2回入場し、調査した。写真撮影も特別許可され、ほとんどの納骨容器の画像を収集した。

まだこの町を詳しく知らないまま、今回はじめて訪れたヴォルテッラを後にした。帰りは、フィレンツェまでの路線バスに揺られながら、草原を眺め、この光景を記憶に刻んだ。美しい・・・。

野人
by yajingayuku | 2009-08-15 04:00 |