イタリア紀行(15)

乗換駅のテロントラで列車を待っていると、駅員と客が何やら言い争っていた。「宇宙の天体の運行でも規則正しく動いているのに、どうしてF.S.は遅れるんだ」「シニョール、ここはイタリアですよ、お分かりでしょう」どうやら電車が遅れているのに客が怒り出したらしい。遅れるならまだしも、ストで運休というのもよくあるのがイタリアである。カムチーアという小さな駅にたどり着いたが、どうもバスが来ない。駅前の小さな広場が工事中のためバスが乗り入れられないらしい。少しはなれたところからバスが出ているらしく、そこの時刻表を見ると、何と昼前に1本しかバスが来ない。これではいかん。コルトーナの町までは遥か彼方にあった。意を決して、コルトーナの頂まで歩き出した。国道を過ぎた辺りからがきつかった。コルトーナの丘までただひたすら1本の道が私の前に伸びているだけである。かれこれ1時間が経った。見上げるとまだ丘のふもとの手前であった。これからは、いろは坂よろしくジグザグの坂を上らなくてはならない。春先の太陽で汗だくになり、手持ちの水も底をつき、重い靴でフラフラになりながら漸くチェントロの入り口のバスの駐車場にたどり着いた。そこ展望台から来た道を振り返るが、駅は霞の中で見えず、ただ「帰りもまた・・・」と一瞬言葉が出ただけだった。何も考えないことにした。

市庁舎広場に続く小道を歩く。小さな店が軒を連ね、春の爽やかな空気が道を吹きぬける。小さな広場には、ポルケッタ(塩コショウで味付けされた子豚の丸焼き)の店が出ていた。何はさておきこれに飛びついた。パニーニひとつというと、見せの親父がおまけだと言ってポルケッタを2枚挟んでくれた。大盛りのパニーニを太陽の日差しを受けながら完食した。

食料品店で水を調達して、エトルスキ・アカデミーに入る。ここは、18世紀に造られた、エトルスキ学の中枢である。毎年7月に、世界各地からエトルスキ研究者がこぞってここに集まり会議をする。指導教授のトレッリ先生もここで東大のS.シュタイングレーバー先生たちと再会されるらしい。博物館の入り口には、紀元前5世紀の青銅製のシャンデリアが展示されている。電気などなかったから、これは大きな燭台で、沢山蝋燭を燈すことが出来る。ローマのヤーヌス神を髣髴させる青銅製の小像、小型納骨容器群、陶器群などなど、遺物を一通り鑑賞して博物館を出る。
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直ぐ傍のドゥオーモをお参りして、向かい側にある美術館に入る。お目当ては、ベアート・アンジェリコの「受胎告知」とルーカ・シニョレッリの「キリスト降架」である。眼の保養を得て、次に町の最上部を目指す。頂き近くには有名なサンタ・マルゲリータ教会がある。ここに繋がるジグザグの坂は、復活祭の時期に行列が練り歩くので有名である。坂の壁には祠のような空間があり、そこにキリストの磔刑から復活までの一連の物語の絵が飾ってある。そう、所謂、「主の道行き」である。キリスト役の人間が十字架を担いで練り歩くのである。この行事はイタリアの多くの場所で催される。教会からは、丘の麓に広がる、キアーナ渓谷を眺め、ここが交通上重要な要衝であったことを確認する。

頂を降りて、渓谷の風景を眺めていると、一人の背の低い老人が話しかけてきた。「わしは、この町から一度も出たことがない。そりゃ、駅ぐらいには行ってみたいと思ったがそうしなかった」教会のオリーブ畑の管理をしているというこの老人は本当にこの町から出たことがないらしい。彼によれば、ペルージアとコルトーナを繋ぐバス路線があるらしいかった。バールでそのバスのチケットを購入して、コーヒーを飲みながら、「これで歩かなくてもいい」と安堵してお腹をさすった。

野人
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by yajingayuku | 2009-08-13 12:40 |