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イタリア紀行(6)

イタリアの大学は、10月ごろから始まる。私は、ペルージア大学の「古代社会研究所に籍を置いた。
早速指導教授に連絡をとり、お会いすることになる。研究所前に立ったとき、緊張の余り口から心臓が出そうになる。先生は、丁度試験の最中であった。体躯のいい、眼光の鋭い、よく通る声の持ち主だった。マリオ・トレッリ先生。エトルスキ学の巨人である。当時、彼の元には、ローマ学のコアレッリ先生、エトルスキ学のロンカッリ先生、エトルスキ語のアゴスティアーニ先生等、その分野の泰斗が集まっていた。これ程の人材は他にはないだろう。こじんまりした研究所の一室に通された。研究計画は既に日本から送付していたのだが、それを先生が一瞥して、「これが出来たら素晴らしい。でも私も今後10年かけて研究しても出来るかどうか分からない」、と仰った。これには、ショックを隠せなかった。これではいかん。テーマを変えるしかない。もじもじしている私に、「ジョスリン・ペニー・スモールなら知ってるよ。こんなに小さい」と一言。スモール先生は、アメリカの古代史の重鎮で、トレッリ先生は、「スモール」にかけて「小さい」と仰っていたのだが、このジョークですこし場が和んだ。必要な助言を幾つか頂き、バールでお茶を頂いて別れた。

そうか、テーマを見つけねば、このことが私の頭から離れなかった。

最初の授業は、トレッリ先生の「古代ギリシア・ローマ美術史」だ。何と朝8時からの授業である。講義の冒頭、研究に際する呪縛について話された。そこではじめて、プラトンと言う名前が本名ではないことを教わる。プラトンは、「プラテュス」、「肩幅の広い」という形容詞から由来するあだ名だったらしい。また、当時盛んに行われていた、歴史における心理学的アプローチについても注意するように促されおられた。察するに、フランスの「アナール学派」から派生した「~の歴史」ものへの批判があったように思われる。

続いて、研究室の小さな部屋で、「マグナ・グレキア史」の授業を受ける。マグナ・グレキアはイタリア古代史に燦然と輝くギリシアの植民史のことである。当時では、ギリシア本土と並ぶギリシア世界の一角を担っていた地域の歴史である。既に、日本で行っていた、エトルスキの購読会で、故パロッティーノ先生の「イタリア初期の歴史」で少し知っていたが、これ程細かなものとは知らなかった。授業が終わり、一人の生徒に、彼のことをよろしく頼む、と紹介されたが、陰で大変不機嫌な顔をされた。これ程嫌な顔を露骨にされたのは久方ぶりである。これは仲良くなれないな、と直感的に分かったので、厄介になることを避けた。

何日か授業が続いたある日、私はインフルエンザにかかってしまった。留学時には一度は体験するものらしいが、私にははるかに精神的なダメージの方が強かった。ここで少し弱い鬱にかかってしまった。ホームシックにはならなかったが、寝込んでしまった。このままではいかん、魂を奮い立たせて、一つの決断をした。「自分の足で、自分のテーマを探そう」

こうして、私の旅が始まった。授業などほったらかしにして・・・。先生は目を瞑っていてくださっていた。

野人
by yajingayuku | 2009-08-04 04:44 |