転々と

昨日、実家のマンションから荷物が届き、下田に完全移籍が完了した。一年以上見なかった自分のものがとても懐かしく感じられた。これで、実家は完全消滅した。

引っ越し。何回しただろうか?
先ず生まれて半年足らずで、出生地の島根県江津市を離れて、小学4年生まで京都市内で暮らした。
そして、市内から、京都府の城陽市に移ったのが、本格的な引っ越しだったように思う。
京都の片田舎に移り、その地で「オイルショック」も味わった。

何回も書いているが、両親の不和で、母の郷里であり、私の出生地でもある島根県に中学1年生で移った。
半年ばかり、寒村で暮らし、両親がまた結ばれて、今度は滋賀県の草津市に居を構えることになった。
ここと別に京都の太秦が引っ越し先の候補にあがっていたけど、心機一転、わが家族は琵琶湖のほとりを選んだ。

大学受験に2度失敗し、1984年に大学に合格、東京の三鷹市で下宿生活することになった。
毎朝、土曜日も、日曜日も電車に乗り、都心を目指したものである。

大学卒業後、水泳のコーチをするために、横浜の市が尾で生活を始めた。
この地で、人妻と出会ったのですよ、ほんまに、よーやりますわ・・・・。

それで、懲りたのか、実家のある草津に引っ越すことになった。
都落ちと、言われたこともある。
だが、やりたかった学究の道へと進んだ。

そして、ようやく、1996年6月に、イタリアへの遊学となる。
イタリアのペルージアには3年半、じっと一か所に住み続けた。

1999年12月には1か月半東京で、通訳の仕事で、銀座のホテルで投宿し、ようやく実家の草津市に戻ることとなった。

2004年には、酒造会社に就職して、鹿児島県の喜界島で生活した。
病気が再発して、実家と喜界島を行ったり来たりしたが、結局、また実家に戻った。

そして、2013年11月から下田の焼き鳥「松尾」さんの上、3階に居を構えて現在に至る。

常々、性格上、腰の重い人だと、自分のことをイメージしていたが、案外、今まで彷徨っていたのだな、と感じる。

幸運なことに、家主さんには恵まれ、引っ越しが楽しかったことだけは確かである。

今度は、しばらくバーチャル引っ越し、バーチャル旅になりそうである。

これから、どれだけ旅ができるだろう?
ワクワクしてくる。

「わたしをどこかに連れてって」。スキーではないよ・・・・・くれぐれも、未知の地へ・・・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayarati!

野人

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# by yajingayuku | 2014-11-10 19:02 | 木陰のランプ

ローマの秋の太陽は早い。
おやつの時間を過ぎると、もう町の色がビール色に染まる。

ボルゲーゼ公園近くの路地裏のアパートの一室で、コーヒーを淹れ、窓際の、肩幅ぐらいの、小さな机の椅子に腰かけた。

椅子の背にもたれかかると、重力とは逆に、少し浮力に似た解放感が、肩辺りに感じられてくる。

サビネリのストレートパイプにラタキアの葉を詰め、百円ライターで火をつける。
獣臭の独特の香りが、煙とともに顔にやってきた。

視線を窓の外に向けると、向かいのアパートの壁に琥珀色の夕日が照り付けているが見える。
レンガ造りの壁面には、葡萄のつるのような蔦が二筋長く、一つの窓に伸びている。
蔦の葉は光でルビー色になっていた。

ふと窓を見ると、頬杖をついた女の顔があった。
髪は黒く自然なカールを描き、まつ毛の濃い大きな瞳で窓の外を見ている。
じっと空(くう)を見つめている。朧な瞳は、何かを見つめているようであるが、何も見ていないようでもあった。

煙が細い糸を引いてきた。
タンパーで火を消し、もう一度パイプに火をつける。

目の前の煙が退くと、今まであった窓際の女の顔はもうなかった。

アパートの壁にも、蔦の葉にも闇が覆いつつあった。

「この世から隠されたもの」が再び閉ざされる。

夜がやってくる。
夜のしじまに隠されたもうひとつの顔を見せる時間だ。

パイプをくわえたまま、腕を伸ばし、机のランプに明かりを灯す。
そして、椅子の肘掛けの左腕に体重をかけ、右手でパイプを包んだ。

さて、どんな瞳が見えてくるだろう?
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-11-07 22:16 | 木陰のランプ

母帰る

「マンマに電話しなきゃ!」

イタリアから帰国後すぐに東京でイタリア語―日本語の通訳の仕事があった。1か月半帝国ホテルで缶詰め状態だった。
丸の内界隈を電飾で飾るその仕事は、イタリア南部の伝統的な職人技が生かされた華やかなものだった。

一日の仕事が終わると、スタッフみんなで夕食となるのだが、その中のひとりこの言葉を発したアレッサンドロ君は20歳代後半の小柄だが心底明るい性格で、どことなく太ったトム・クルーズのように彫りの深い顔立ちをしている。
彼は夕食前の集合時間に必ずこういって、母親に電話をする。
彼女もいるのだが、真っ先にマンマなのだそうである。

イタリアの片田舎で下宿していたお宅の息子さんに、チェロ奏者のルーカというのがいた。
気難しがり屋だが、大のお母さん好きで、人前でも「マンマキスしていい」とお伺いを立てるのである。
とうに二十歳を過ぎてもこの状態は抜けないらしい。

そういえば、映画「グラン・ブルー」の中で、ジョン・レノが演じるイタリア人も母親が絶対的な存在として描かれていた。

イタリアでは、このようなお母さん一遍どうのことを、「マンミズモ」という。つまり、マザコンのことだ。

誰かが、男はみんなマザコンだ、といっていたが、そういうふしが男性にはあるものだ。
でも女性にもマザコンというのがあると思う。ママがいないと何もできない女性もいるのではないだろうか?

そういうことからいえば、母親と子供の間の関係は、父親よりも深いものがあるかもしれない。
子供を産む、という父親にはできないことを経験していて、しかし父親もその母親を知っているように、深いものが母親にはある。

母を失って初めて、男も女もそこへ帰ってゆくものかもしれない。

そういえば、アニメには度々、母を訪ねる少年や蜂の話がありますね。
老若男女、何だかほろりときてしまいます。
みんなわかっているんですね・・・・マンマのことが・・・・・。

女神というものは、結局、母への崇拝なのでしょう・・・・・マリア様も含めて・・・・・。

「この世に生まれたからには、あなたには母がいたということなのです」
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-11-05 20:44 | 木陰のランプ

ラーメン

あれは真冬の頃のことだった。

「ラーメン食べにいかへん?」

そう友人が、夜半前に電話をかけてきた。
寝間着姿にダウンジャケットを着込み、サンダル履きで彼の家にゆく。

では、ということで、寒風吹きすさぶ中、武蔵野の夜道をさまよう。
彼のアパート近くのラーメン屋はもうすでに閉まっていたので、青梅通りなら何か深夜でラーメンをやっているところがあるだろうとまたとぼとぼ歩きだした。

「吉祥寺でええーんちゃうん?」
そういって早く食べようと彼に催促する。

「いや、荻窪や。それがええ!!!」
そういって、人のいうことを聞かない。

「しゃ~ないなぁ~」
ここまで来たら、何処でも行きましょうという気にさせるから、彼は不思議な魅力がある人物である。

「荻窪、全部閉まってるやん!!!」
二人とも溜息しか出ず、足のつま先が凍えていて、感覚がなくなりはじめた。
そのまま、東へと向かう。

「えっ、新宿やん!!!」
そうなのである。新宿の高層ビル群が明りをちらつかせながら我々を出迎えている。
ビル風がひときわ氷のような厳しさで服の隙間から入り込んでくる。

「おっ、雪やでー!!!」
何と追い打ちをかけるように雪が降り始めたではないか。

もう後戻りはできなかった。このまま四谷の大学の教会まで行こうということになった。
教会は暖かった。大学の授業が始まるまでここでしばし休むこととなった。

三鷹から四谷まで。徒歩で5時間。

何故こんなことになってしまったのか?
何故引き返さなかったのか?
何故妥協しなかったのか?

我々二人は、この時すべてがONだったのだ。Vamos!!!だった。脈絡などない。
何がそうさせたのか・・・・わかるようでわからないままだ・・・・・。

その友人もこの世にいない。
さみしいものだ。こんなことができる人間がいたのである。

ほとばしり出るもの。ここから始まったような気がする。一つの出発点。

Vaya Con Dios.(神々とともにゆけ)
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-11-02 20:36 | 木陰のランプ

土埃とビール

「喉が痛い!」

頭を上に向けると、抜けるような青空が、杉の大木の間から見える。地面には、大量の土埃、花粉、枯葉枯れ枝である。少しでもその辺を歩き回ろうとすれば、たちまちのうちに煙霧のように地面が埃で沸き立つ。

カリフォルニア州、ヨセミテ国立公園。サマーキャンプで二日間宿泊した。
メタセコイアの大木のトンネルを抜け、大自然の圧巻な光景に感動して、否応なしにキャンプ生活に期待が高まる。
シェラネバダ山脈の剥き出しの山肌を、岩場から眺め、世界最大級の滝の流れを眺めていると、この国の持つ巨大なエネルギーを感じてやまない。
流れる小川は、雪解け水で、真夏であっても、脳天に響くほど冷たい。

先輩二人と土埃の海の中に建つコテージに宿泊した。
中に入りものの5分もしないうちに、咳、くしゃみ、鼻水が酷くなった。鼻の中が埃で黒くなり、喉が極端に乾燥しているように感じられ、水分を補給しても何の効果もなかった。

宿泊が許可されている地域に、食事できる施設があり、そこでバイキングを食べる。
夜になっても喉の不快感は収まらない。
公園の宿泊地域の中にはシャトルバスが運行していて、こういうバスのシステムもこの時初めて目に見るものだった。

二階建てバスの二階は青天井で、埃っぽい大木の海の中をバスが抜けてゆくと、木々の間を通って涼しい風が顔に吹き付ける。
前に座っている、ヒッピーだという熊のように大柄なアメリカ人青年が、バドワイザーをすすめてくるので一本もらった。

「まだあるぜ」

気前よくビールをすすめてくる。よく見ると、ビールのケースがリュックに3段重ねしてくくりつけてあった。
ヒッピーでもこんなものはちゃんと確保しているのものなのかよくわからなかったが、豪快な旅をしているようであった。
ビールを飲んで喉は少し癒された。
ビールで酩酊したのはこの時が初めてである。

乾燥した大地に住む人々には、それにあった発想や生活の工夫というのがある。
湿潤な土地から来た人間は当然そこには適応しにくい。
もし、気候や風土が人間の思考や感情に大きく影響しているとすれば、私は乾燥した大地の思想や生活感情が理解できないでいたのかもしれない。永遠に乾燥した合衆国の人間が深いところでわからないかもしれないと思ったものである。

ビール、水。乾燥した大地に湿潤な大地から来た人間は、水分のありがたさを痛感する。
人間潤いが大切である・・・・精神的にも肉体的にも・・・・・。

喉を通るビールの潤いは、この青年の気持ちだった。
潤いは人の気持ちを満たしてくれる。

木立から、月が光を落している。
風、月、大木、そしてビール。笑い声とエンジン音が森の中をこだましていた・・・・ひと夏の思い出。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-31 05:54 | 木陰のランプ

酔う

書きます。
今少し感極まりました。

色々昔のことを思い出すうちに、自分の幸福も、友人の幸福もどうやったら成就できるかを思っています。
争いごとのない世界なんて考えられないけど、幸せにならないなんて世界も考えられません。

大学1年生の時の哲学の講義の課題図書がプレトンの「ソクラテスの弁明」という対話形式の書物だった。
「無知の知」という言葉だけでなく、「善く生きる」とは何か?という問いも織り込まれていた。

小難しく、そっぽを向かれる本だけど、こんな問いが2000年以上も前に提起されているのである。

大学の教授陣の中に、フィリピン人のルーベンス・アビト先生がいらした。
昼食となると、私は、安くて、腹がいっぱいになる学食に駆け込む。
お決まりの、アルデンテではない、伸びきった、脂っ濃いスパゲッティを平らげる。
満腹の私は、売店に行き、飲料水を買う。
それをもって、図書館で少し昼寝でもしようと思い、トボトボ構内を歩く。

すると、

「やあ、岩崎君」

とアビト先生が寄宿舎の前の日向で置石に腰かけて声をかけてこられた。

「パイプ、ですか?」

「これがないと生きてゆけない」

そういう会話が脳裏にこびりついている。

今、私もパイプがない自分が考えられなくなっている。アビト先生のいう意味が分かるような気がする。
中毒。そうかもしれない。
でも、それに比例して私にもたらしてくれる幸福感は代えがたいものである。

「善く生きる」とは、難しいことではないかもしれない。
ほんのちょつとの、つかの間の幸福感、しかも自分だけではない共有できるもの・・・・・。
そんな小さなことでもいいのではないか?そう思うのである。

人との交わりもこういうものかもしれない。
大国のメンツで駆け引きするのではなく、個人と個人の交わりから生じる何かではあるまいか?
些細な触れ合いが肝要ではないか?


小難しいことで、あいすみません。
こういうことが、今、ビール1本で発火してしまいました。

想像には酒は必要だが、創造には酒はご法度である。
でも、人間、酔わずに何をするものぞ?

あの詩人だ。ボードレール。

「常に、酔っていなくてはならない」
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-27 18:57 | 木陰のランプ

魂中の一火

掃除、洗濯、買い物、ゴミだし・・・・・。
一人暮らしをしていると何から何まで一人でこなさなくてはならない。当たり前のことですが・・・・・。

「まぁ~いいや~」

をやってしまうと、ほこりが溜り部屋がカオスとなり、洗濯物は山になり、ゴミだらけになる。
大学時代の友人が中野富士見町に下宿していたのだけれど、行ってみると、四畳半の部屋の畳には、エロ本、雑誌、書類が絨毯のように敷き詰められ、それを払いのけて私のスペースをつくり私を招き入れてくれた。

「この緑の、何や?」
洗っていない食器類、食べ残しのあるコンビニの袋が流しに放置されている中で、お抹茶のように美しい物体が1個小皿に乗っていた。

「それか?イチゴや」

えっ、これはカビか?何とまぁー美しいこと・・・・。
感心してしまった、かれの徹底した生活ぶりを・・・・。

でも、彼は、のちに音楽評論家になるが、透徹した見識と人間観察、そして正義感に磨かれていた。日常生活の徹底した偏りが偉大な人間を育ませていたのである。

彼は、いつも発火していた。
「熱い」人だった。
人には、どういう事情であれ、発火が必要である。時には生活を犠牲にしても・・・・。

大学の応援団とはよく飲んだが、彼らは意識的に自分をたきつける。自己完結型内燃機関をもっている。
でも、しんどいことやろうな~、といつも思う。
たまには、火を消してな~、とよく言ったものだ。

さてさて、こやつをたきつけるのは何でしますかな?
酒?女?博打?はたまたペンで?
どれでも発火できるのも人間です。
OH ! Vamos!!!!(「よっしゃ、行くで!!!!」)私は掛け声で・・・・・・・・・・・・・・ちと無理か・・・・やっぱ、音楽!!!
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-25 21:25 | 木陰のランプ

内気のパワー

兎に角、学校が嫌いな子だった。
京都八条の家が幼稚園の隣で、一度お遊戯会の練習をすっぽかして、家にこっそりと帰ったことがあった。運動場の塀などなく、我が家の家の側面がそのまま運動場と合体していたので、横手のドアからするりと家には入れてしますのである。

お遊戯は言うに及ばず、人前で何かすること、みんなと一緒に行動することがとても嫌だった。恥ずかしがり屋で、人見知りするタイプであった。
そんな性格を見抜いていたのか、こっそり帰ってきたときにも、母は叱らなかった。多分、叱れなかったのかもしれない。

このおひとりさまタイプの性格はそれ以降も続いた。
人と同じことをするのも嫌なタイプだった。

そんな私が、小学校6年生の時、運動会の応援団長になったのだから、世の中よくわからない。
ひょろっとして背が高く、声も上滑りしたように甲高く、落ち着きがない団長が、あらん限りの大声をあげて、フレー、フレーをやるのである。
今でもこんな旗振り役をよくやったと思う。

内向的な性格で、それが理由だとはいえないが、いじめにもあった。
学校が嫌で、行ってもいじめにあう状況だったが、卒業文集の「将来なりたいもの」という欄にはちゃんとダイバーと天文学者になりたいと書いていた。

この夢は果たされなかったが、似たようなことはしたつもりである。
水泳のコーチがそうだし、歴史の研究者がそうだと思っている。

人間100パーセントということがない。100パーセント力を出してしまうと余力はないので、後は消えてなくなるしかない。だから人間は70パーセントか80パーセントの力が最大限の出せる力なのである。ということは、半分の力でも生きる力には十分なのである。

幼稚園児、小学生、そして現在。50パーセントの力も出ていないかも・・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-24 15:49 | 木陰のランプ

海の幸、といっても実に様々だ。
ウミウシを食べるところもあれば、ナマコだって最初食べたやつは凄いと言ったりする。

朝早く、叔父は私を連れて磯部へ行く。
三つの銛をつけた棒に、生の鯖の頭をひもで括り付ける。
それをそっと磯部の岩陰の入り口ぐらいのところに持ってゆく。
そしてやおら、棒を前後にゆすり、まるでサバの頭が生きているように舞わせる。
しばらくすると、足を緩やかに動かして、タコが岩穴から出てくる。
サッと、タコがこの頭に抱き付く。
その瞬間、叔父はすばやくタコをひっかけ、海から引っこ抜く。
これが、ここ島根県での磯場のタコ捕りのやり方である。

何匹かタコを生け捕りにしている叔父の少し離れたところで、私は、ボベ貝採りに専念する。
この貝は、カサガイ科の巻貝、ヨメガサ貝のことであり、ボベはこの地方の方言である。
貝殻は、平べったくて、ヴェスーヴィオ山のように山形をしていて、頭頂部から薄らと幾本か筋が入っている。色は薄い深緑色で、斑点状のような模様があるものもある。

これをバールやマイナスドライバーで岩からはがし取る。
物の五分で両手いっぱい分採れてしまう。
昼には叔母の作った握り飯で済まして、次に釣りに移る。
そうこうしているともう夕方である。

網に大量のタコとボベを入れて帰宅する。
ボベを水で洗い、鍋に入れて茹でる。
通人は、この茹で汁を使っておコメを炊く。私は、この汁が苦手である。
あまりにも、磯の香りが強いからだ。

「食いしん坊バンザイ!」に出演した芸能人が収録中に、旨いと言って笑顔だったのが、撮影が終わるや否や、その場でこのボベ飯を吐き出して苦しんでいたそうである。
それだけ癖のあるものだから、海人以外は広まらなかった。
「ケンンミンショー」で取り上げられ少し有名にはなったけれど・・・・。

磯の香りが強いが、貝に特別な味はなく、蒲鉾に歯ごたえのあるような噛みごたえがある。貝殻から外すと、身は小さな棘が二つあるような触角が生え、茹で豆のようにコロッとしていて、背がオリーブ色、腹が黄土色をしている。
こいつのできたては美味しい。
私が社会人になって家に行くと、決まって、これを採りにゆき、ボベ飯となる。

「かぁちゃんと似て、こいつが好きだのーお前は・・・」

というのが叔父の口癖である。

私にとっては、自分の中に海人の血が流れている証拠だと、ボベのことを思い出すと確認したりする。
海人の変わった料理、他にもありますか?
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-23 15:44 | 木陰のランプ

創造的自己同一性

「創造的自己同一性」(Creative Self-Identity)

少し長いお話ですが、お付き合いください。

-los、何々ロスという言い方があります。ペットロスなんてありますね。「喪失」を意味します。

下田には地元っ子以外の生まれ故郷が外にある人がたくさん住んでいます。
そういう人が、話の中で、「僕は部外者だけど」とか「よそもんだけど」という言葉を使います。
よそに自分の故郷があり、その故郷の人間だというのならそれでいいのですが、下田に住み、下田の人間として生きているのなら、これは、「故郷ロス」(「故郷喪失」)の事態にあるのではないでしょうか。

下田に住んでいて、下田の人間だと思っている人から、この言葉を聞くと、(誤解を恐れず申しますが)どうしても下田からも、生まれ故郷からも、話をはぐらかして、言い逃れして、話をしているように思えてならないのです。

私は、どちらも肯定する、そうした創造されるアイデンティティーを提案します。

生まれ故郷を否定するのではなく、また下田人として外部でもなく、このふたつともが自分であるということなのです。これは地元民と呼ばれている言葉とは違う新しい考え方になるかもしれません。故郷を異にするが、地元人と同じように生活し、感じ、思い、悩み、失望し、喜び、悲しみ、笑い、考える。これをして、まだ下田人ではないというのでしょうか?同じなのです。異質の部分を人間はみな抱えています。それが人間です。でも一人の人間であります。

逆に、地元民と呼んでいる人はどうでしょうか。地元のことは地元の人間しかわからないのでしょうか?
そう思いません。それは、経験、生まれてこれまで同じ場所で生活し、そこから生まれた経験の相違があるだけなのです。そう考えると、心は、閉じた自分と開いた自分がいるはずです。閉じた自分は郷土の誇りからご近所づきあいまである中での、その土地の人間しかわからないものです。そして、開いた自分というのは、生活を共にするという意識と実際に生きなければならない現実に即して存在する自分です。
でもこの二つとも、一個の自分です。

ここで、カギとなるのは、やはり「下田人」ということになるでしょう。「下田の人間」「下田っ子」「下田に住む人間」というよく使う言葉です。この言葉を、どうでしょう、この際、意識的に使ってみるのは。外であれ、内であれ。何か、共感できることがあるだけでも、もうこういえる資格があるんじゃないでしょうか・・・・下田に住んでいるのだから。

私の言っていることは、何も新しい発想ではありません。
地球上には、このある種の積極的な自己同一性の構築を日常的に行っているところは沢山あります。
人種のるつぼといわれる、人種問題を抱えるアメリカ合衆国の各都市、移民問題に頭を悩まし極右勢力が台頭するヨーロッパ、なくならない部族間抗争のあるアフリカ、政治体制が各都市に行き渡り硬直化する中国の現実などなど、あれがあり、これがあります。

大きな話になり恐縮しますが。根っこは同じようなものなのだと思います。
「住めば都」といいますが、これは先人がこの「引き裂かれた自己」、「硬直した自己」のことを暗に表したことなのかもしれません。

まぁー、いっぱいやりましょうやー、酒が飲めなくても、まぁー、いっちょやりましょうやー、とお互い言い合えるのが自然体でありたいですね。

新しい下田なんて、そんな壮大なものでなくていいのでは?
何かちょっとした意識の変化なのかもしれません。
それをたくさん見つけませんか?

ぶつかり、悩み、時には落ち込み、怒る。それは当然あります。
でも住んでいるのは下田です。それだけは、確かなことです。
ということは、対立があることも、これまた下田人であるから起こるのだと思います。

さしずめ、ここでは結論として、「下田人づくり」ということにしておきましょう。
少しずつです。
ぼちぼちやりましょう。
というか、今までどおりでいいです。でもこのことは忘れないでほしいのです。
下田に住んでいるのですから。

ということで、欲張りですが、私は複数の故郷が持ちたいと思っています。
でも下田人です。そしてひとりの人間です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。本当に感謝します。

11月で、ここ下田に引っ越してきて、1年になります。まだ新米です。叱咤激励よろしくです・・・。

「毒蛇は急がない」

野人

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# by yajingayuku | 2014-10-23 07:00 | 木陰のランプ