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パン

ローマからバスで北へ向かうと、小高い丘にある小さな町バルバロロマーノがある。丘の下には川が流れ、谷が走っていて、川の浸食という自然の造形と古代民族エトルスキの作った断崖墓という人工の造形が人の目を楽しませてくれる。街中は、入り口からものの3,4分歩くと一番奥の端まで到達するという狭さである。こんな日本には知られていない町に、某大学の考古学研究所がある。

訪れたのは丁度、復活祭のころで、手土産にパンを持って行った。
このパン、「パネットーネ」という甘い生地の、クリスマス時に食されるものと種類は同じだが、甘くなく、塩味で、中にチーズが練りこんである、「トルタ・ディ・パスクァ」(「復活祭のトルタ」)という特別なものである。ウンブリア州のペルージアだけで作られていて、塩味「パネットーネ」は復活祭の時に食べることになっている。
研究所の関係者はこのパンを遥々持ち込んだアイデアに感心していた。まさに、グッド・タイミングであったのである。

それにしても、ウンブリア州のパンは美味しくない。
円形、楕円形のパンなのだが、肌理が粗く、出来立てはパサパサ、時間が経つとカチカチに硬くなる。
味もほとんどせず、口中の水分だけが吸い取られるという代物だ。
パンを作るのに塩を使わないとこうなるのだそうだが、中世時代の山岳地では塩はとても高価でパン作りには塩を使えなかったからこうなったらしい。

ロンドンを訪れた時に、毎朝の食事に出たのが「スコーン」だったが、これもパサパサで、ただ甘いだけのお菓子みたいなもので、食欲が薄れた。

パリの安宿の朝食には毎回「クロワッサン」が出たが、これはバターの量といい、生地の硬さといい絶妙でとても美味しく、おかわりした思い出がある。

これと比較して、日本のパンはとても美味しいように思う。種類、硬さ、食感、味、量。どれも豊かであり、極めて質が高い。

美味しいパン食べてますか?近頃では食べてないですか?
パンを自分で作れる人がうらやましいです。この怠け者には到底無理です、はい・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai

野人

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by yajingayuku | 2014-08-31 20:53 | 木陰のランプ

「の」の字

またまたここからは下ネタです。嫌な人はぶっ飛ばしてやってください。

スイミングスクールというものは、控え室以外はプールで水着姿で仕事している。そんなこともあって、肌を露出することに案外抵抗がなかったように思う。
水から陸にあがったコーチというのはいたって普通の人間で、むしろ人間臭い人が多かったように思う。

関内のあるスイミングスクールのコーチたちのお疲れ様の打ち上げ。
コーチの中でも恋愛話は絶えない。
この席で隣同士になった後輩の女性コーチ。ピチピチのいけいけの女の子。
宴はたけなわとなるころ、私の左の手に彼女が手を伸ばしてきた。
そっとではなく、かなり大胆に私の手のひらに「の」の字をかいた。
これは合図と分かっていたが、あえてお断りした。
何故、絶好の機会を断ったかは、私にあって聞いてください。
ナッッツ、チキンと呼ばれる私もここは踏みとどまりました。その頃は水泳を愛していました。

閑話休題。
「の」の字をかかれた男性なら思い切って女性を愛するでしょう。頭のてっぺんから足のつま先の親指の先まで舐め尽くすことです。
また登場してもらいましょう、開高先生に。
「夏の闇」でも描写されていた、女性に対する愛撫で、女性器にオレンジを絞って舐めるというのがあります。
私には鮮烈なイメージで、これはと感動するものでした。
牡蠣にレモンを絞って食すように、これを食すというのは刺激的なことです、私には・・・。
また、先生の「珠玉」の最後の描写は、お互いの顔に放尿しあうというものです。
これがこの大作家の最後の作品のトドノツマリです。

変態。どこからどこまでがどうなのか?考えさせられますが、男女間の性行為はいろんな形があります。
もし、今後、「の」の字を手のひらにかかれたら、そっと人差し指を彼女の手のひらに差し込むことでしょう。
そして愛すると思います・・・思いっきり・・・。

スケベ。何とでもおっしゃい。この世には男と女、それに中性がいるだけです。
これに尽きるのです・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayratai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-27 16:55 | 木陰のランプ

文房具

「象が踏んでも壊れない」という筆箱のCM。香りがついた消しゴム。鉛筆のキャップ。肥後守のナイフ。
消しゴムのかすを、下敷きで静電気を起こして踊らせたこと。

勉強は苦手で、嫌いで、成績も悪かったが、こと文房具に関しては興味が尽きなかった。
友達から新しいアイテムを見せられた時などは、万引きしてでもそれを手に入れたい衝動に駆られた。
字は下手で、文房具は綺麗な字になるための何ら手助けにもならなかった。

父もまた文房具マニアであった。
戦中戦後の父の文房具を手に取って使えたというのは貴重な経験である。
コンパスは、海軍で使っていた、丈夫一式の硬派な作りで、重く、非常に使いやすかった。
雲形定規も沢山あった。どれも使い方は教わらなかったが、想像をめぐらして使っていた。

ペン・万年筆・鉛筆の類は腐るほどあった。
父は習字が好きで得意だったので、筆・硯も沢山あった。

文鎮は彼にとって必需品であったようで、机の上に乱雑にころがっていた。
メモ帳・ノート・原稿用紙などなど。

彼は晩年、60歳後半からワープロを始めた。
かなりの原稿を打ち出して整理保存していた。

親子というのは似るものだ。
私も少しは文房具マニアの血が流れているらしく、文房具売り場は、本屋と同様最高の憩いの場に感じる。目移りするのだな~これが。

道具というものは、機能のよさと美的センスが追求されるものだが、所有欲を余すことなく満たしてくれるものでもある。
色んなコレクションがあるが、文房具というのは、少年少女が最初にやるコレクションだろう。
物欲にまみれた姿かもしれないが、文房具集めほど身近な物的快感はないと思う。

さて、コンピュータは文房具でしょうか?
そう、違いますね。文房具でできることを一台でやってしまうものです。
さぁ~、たまにはペンをとりましょう!
あの、自分だけのノートを作った喜びを再び・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-26 19:47 | 木陰のランプ

のんべい

父はのんべいだった。つまみなしで呑める人だった。ただ、呑むと人が変わったようにおしゃべりする。
「これで生計を立てたようなものよ」と母が言うように、酒なくしては仕事できなかった、父は。
死ぬ間際まで、酒をほしがった。ほんの数滴でいいからほしいと周りに言っていた。

両親の家系はいずれ劣らずの酒飲みだ。
父方の祖父は、早朝に一升瓶片手に昇天した酒豪だった。

私は私で自堕落な呑み介だ。
でも、最近は量が呑めない。
酒の種類も変わった。
日本酒やワイン、カクテルが好きだった若いころに比べて、今は生粋の、無垢の、清澄な蒸留酒でないとだめになった。度数もあがったが、その分呑めなくなった。

今、友人がプレゼントしてくれたウィスキーを呑んでいる。
50度もある。
心地よく、パイプ煙草にマッチする。
こんなだから、一人呑み、家呑みが多くなる。

話は少し変わるが、沖縄地方には、洗骨の風習がある。
与那国島では、埋葬されて数年後に一度土葬の骨を取出し、泡盛のクース(古酒)でその骨を洗う。余ったクースを会席した人々が故人を偲んで呑む。

クースが高価で、神聖なものであり、清めに使うのは分かるが、死んでからも酒を施してもらえるのはいいかもしれない。死と酒はつながる。
昔流行った、フォーククルセダーズの歌で「帰ってきた酔っ払い」というのがあったけ・・・。
「酒も美味いし、ね~ちゃんは綺麗し」というくだりは子供心をくすぐった。

のんべい家族に生まれて50年、もう本望でございます。
酒の一杯一杯に感謝します。
狂言のように、「ぶす」というものは毒ですといって酒をかこちます。
今日は狂言師のごとく退座いたします。
酔ってま~す!!!
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-25 17:27 | 木陰のランプ

スパイス

イタリアの田舎町を散歩していると、何処からともなく、バジルの香りが漂ってくる。最初は、どこかの家で昼食にパスタ料理でもしているんじゃないかと思っていたが、どうも家の中ではなく、家の庭の自生したバジルが風とともに香りがこちらまで運ばれてくるのが分かった。同じような体験は、ローズマーリーでも、タイムでもあった。

ローズマリーは鶏肉料理と相性抜群である。
イタリアでは、単に塩焼きの鶏を焼いたり炒めたりするときによく使われるが、日本でも何かと私も使うようになった。

北欧でよく食べられる、「ロックス」は名作の一つだが、私はこれにローズマリーを使う。
刺身ができるようなサーモン、あるいはスモークサーモン、玉ねぎのスライス、ピーマンのスライス、レモンのスライス、レモン果汁、塩とこょう。これを混ぜ合わせて冷やす。前菜としてもおいしいし、クラッカーにのせて、チーズと合わせるのも美味しい。

イタリアのポルケッタ(子豚の丸焼き)にも一緒にローストされる。ほんのりと豚肉にローズマリーの香りがついていて、これを白ワインとやると目をむいてしまう。

クミンシードもよく使う。カレーだけではなく、サラダのドレッシングやポテトサラダ、バターライスなんかにも使っている。

毎日、シナモンコーヒーを飲んでいる。最初は、粉っぽくて飲みにくかったが、慣れてくると、シナモンなしにはいられなくなった。

もう飲み物にも、料理にもスパイスやハーブは欠くことができなくなっているが、タバコもまたそうしたスパイスやハーブみたいな存在だ。これがないと、落ち着かない。口と鼻が求めてしまう。

お茶漬けに、ほんの少し山葵を入れると本格的な味になります。ほんのちょっとした工夫で幸せになります。イタリアでは料理の最後に、ほんの少しの塩をつまんで入れます。出来上がった料理にです。イタリア人のパオラは言います。「ひとつまみの愛情を・・・」。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-24 10:33 | 木陰のランプ

ピッツア

秋が深まる中、イタリアのポンペイでは発掘作業が続いていた。
ヴェスヴィウス火山を背後において、発掘作業場の穴場に入る。掘っては測量してを繰り返し、一日を終えると、お楽しみの夕食である。
今夜は、ヴェスヴィウス火山の研究者の兄弟が経営する、ピッツエリア(ピッツア屋)に行くことになっている。
ナポリの産業通りのオレンジの外灯の明かりで目がショボショボしてくる。、まるでオレンジジュースの中で、腹が減っている子猫が溺れたように、車の窓の外気を勢いよく吸い込む。
御殿のような大きなレストランに入る。研究者の兄が、デザイナーズマンションのようなセンスのよい調度品と内装で覆われたロビーで、われわれを出迎えてくれた。

支配人が一品は自分の好みを注文し、あとはこちらに任せてほしいと挨拶する。
やはりここは本場の「マルゲリータ」を食べないと、ということで早速注文した。
円周に耳があり、薄い生地の歯ざわりと味もさることながら、モッツアレッラの素晴らしいことったらありゃしない。月並みの表現で申し訳ないが、乳の味が濃厚であった。これ以前にも以降にもこんなのにはお目にかかったことがない。

待ち受けていたのは、檸檬のピッツアであった。檸檬とモッツアレッラだけ。これには目がギョロとなる。塩味が絶妙である。

最後の締めは、ヌテッラ(チョコレートクリーム)のピッツアであった。今では日本でも当たり前のデザートピッツアだが、当時は衝撃的だった。そうか、甘くてもいいのだ、ピッツアは・・・これでいいのだ・・・とはしゃいでしまった。

こんなことだから、ピザは食べられないのです。そして「ピザ」と「ピッツア」は別物なのです。
ないときには、仕方なくピザを食べますが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

本場のものというのはうわさに違わないことがあります。
下田の本場もの。何かありましたっけ・・・・金目鯛・・・・・・それからそれから、う~ん・・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-21 19:57 | 木陰のランプ

「今日は何ぞないかいな?」と冷蔵庫を開ける。
ビールだと枝豆があれば幸せになり、ワインならサラミなどあれば至上の喜びとなる。
それはそれとしても、こうもうまくタイミングはよくない。
それなので、長持ちしていつでも手に入る乾き物となるのである。

乾き物といってもいろいろある。スナック菓子もあれば魚の干物もある。
魚の干物で美味しかったのは、「氷魚(こまい)」である。カチンコチンの干物で、これを火であぶり、身をむしりとる。こいつを、辛口の日本酒の冷酒でやるとこたえられない。

私の場合、このような希少品が手に入るわけでもないので、ナッツにしている。
煎りそらまめ(フライドビーンズ)、アーモンド、ピーナツ、カシューナッツなどなど。
最近では、ドライフルーツが気に入っている。
高校生のときに食べたカリフォルニアの杏のドライフルーツは忘れることが出来ない傑作である。

チョコレートがいいという人もいるが、少しならまだしも、これはメインの肴にはならない、私の場合。
やはり、塩気のものとなる。
サラミは、日本のものはどうも人工的な味がする。
イタリアでせんぞ食べつけているので舌が抵抗する。
「鎌倉ハム」のサラミはいい線いっているが、どうしても海外のものには勝てない。
アメリカ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアのサラミを食べてきたが、種類は幾らあるか分からないほど豊富である。イタリアの「ナポリターノ」は唐辛子入りのピリ辛でこれまたよろしいのである。

肴というのは、もともと酒菜、酒魚、酒肴と書いたようで、文字通り酒のつまみのことを指すが、会話上の話題で「話の肴」という言い方もする。エロ話、政治話、人生相談、つり話などなど、なんでも酒を飲むと肴になってしまう。酒の求心力は凄まじい。

夢は夜開き、酒によってつくられる。
たまには、一人酒で、妄想を肴にどうですか・・・なに、毎日とな!
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-20 19:55 | 木陰のランプ

猫性

中島敦の初期の小説に「下田の女」というのがある。ある一人の女性が、時にたくましく、グイグイ引っ張ってくれるような男が好きだといい、時に理知的で、おとなしい男性が好みよという。一人の女性に二つの性格があるのか、気まぐれな性格であることを描いているのか・・・。
いずれにしろ、女性を中島敦の筆で描くとこうなる(でも何で「下田」なのだろうか?)。

猫というやつが好きである。
こいつときたら、こちらが優しく撫でてやろうとすると逃げて行き、こちらが忙しくてかまっていられないときに擦り寄ってくる。人間からするとはなはだ身勝手な生き物に映る。
しかし、猫好きは、猫がいないことには寂しいものであり、何か自分に欠けたように感じる。

私がこの世に生を受けたときから猫が家にいた。写真で確かめることが出来たが、よくよく考えると、色んな動物を飼ったが、一番印象深いのはやはり猫であった。
「もう生き物は飼わない」という母の気持ちはよく分かる。家の中で誕生し、母の布団の上で死んだ猫なのだから、母としてはもういいという感じなのであろう。
我が家の猫、「クロ」と「チビ」はかように可愛かったのであるが、人のような存在でもあった。

女性の小悪魔的な部分と男性には理解できない身勝手な猫のような部分。このふたつものが女性にあるように男には見えるのかもしれない。このような女性のイメージを、私は「猫性」と名づけて呼んでいる。

そういえば、もうすでに何千年も前に、古代エジプトでは「バステト(Bastet)」という女神として猫が崇められていたではなかったか!女=猫=神。古代人は女性の「猫性」を見抜いていたのかもしれない。

刑事コロンボの言っていた、「うちのかみさんはね・・・」というやつは、実のところ「神さんはね」という意味だったかもしれない。尻にひかれるコロンボ。もしや猫好きでもあったかも・・・(実際は犬を連れていましたね、覚えてらっしゃいますか?)。

かように女性と猫は似ているのであります。
女性と猫と、見つめられるならやはり女性ですか?答えは出ますね・・・直ぐに・・・なに、出ないって?
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-19 20:14 | 木陰のランプ

デザート

マスカット、巨峰、梨、メロンなどなど。どれも皮を剥き、一口大の大きさに揃える。これに檸檬を絞って作られるのが「マチェドーニア」(イタリア語)、「マセドニア」(スペイン語)、「マセドワーヌ」(フランス語)である。シンプルで、とても美味しいデザートだ。

「果物はとりわけ甘いものを選ぶといいわ。そうするとお砂糖がいらないから」
イタリアの大家さんの奥さん、パオラが嬉しそうに教えてくれた。
缶詰なんかのフルーツポンチより私は好きである。

「テラミス」をパオラから教わったことがあるが、これがなかなか大変である。イタリアでは簡単に材料が揃った「テラミス」キットがあるので、日本より簡便である。作るとなると、マスカルポーネチーズ、ビスクィイ(「テラミス」用のビスケット)、コワトローやブランデーなどのアルコールが必要になってくる。
「これには最後にネスカフェのコーヒーパウダーをかけると美味しくなるわよ」
最後の一筆のような作業も丁寧に教わったが、一から作る気力が出ない。でも習得はしたい一品である。

最近、どこぞのハンバーガーショップで「アフォガート」というデザートを見かけるが、もう17年前に何も特別な一品ではなく、よくあるデザートとして食した。「アフォガート」とは、affogare「溺れさせる」という言葉から来ている。コーヒーの中にアイスクリームが溺れているイメージである。あるいは溺れさせているのである。この言葉の意味には、他に「酒などで憂さを晴らす」といった意味もあり、想像すると面白い。

前にも書いたが、甘さに複雑さを出すために甘さにも一工夫したデザートがある。イタリアにいるときによくやったのが、バルサミコ酢を使った一品である。用意するのは、バルサミコ酢、アイスクリーム、イチゴ。これだけである。アイスクリームは出来ればイチゴアイスがいい。アイスはレディーボーデンやハーゲンダッツのような少しお高そうなのがよろしい。アイスとイチゴを盛ってそこにバルサミコ酢をかけるだけでよろしいのです。食べるときには、バルサミコ酢を広げて、混ぜ合わせて食すのよろし・・・。

デザートの後には、濃いエスプレッソをどうぞ。イタリアでは苦い味にはたっぷりの砂糖=愛情が必要だ、といいます。お試しあれ!
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-18 20:24 | 木陰のランプ

白いキャンバス

このブログの記事の内容がどうも個人の思い出話になりつつありますが、文筆家業の深い森に入り右往左往しているところです、ご容赦ください。

あれは、大学生3年の夏、神宮プールの観客席で日光浴をして見た青い空だった。青い空に飛行機雲の航跡が白い線となってゆく。東京の、夏の、昼の平凡な空だ。これを見たかった。
隣のプールからは全日本のシンクロのチームが練習する水のざわめきが聞こえてくる。近くを通る山手線の電車のガタゴトという音が耳に入ってくる。恋人同士がささやきあい、誰かが、オーイと叫ぶ。

その時の私は、将来の就職のことも、勉学のことも、コントラバスのことも、何も考えず、ただ日光浴がしたいために、1200円もする入場料を払ってプールに来た。空を見に来た。

プールに詰め掛けた人間も、同じように、空に正対して、または背負いつつ日光浴している。カバン、サングラス、飲料水、タオル、ウォークマン、財布、ロッカーの鍵、それに水着。あとは何もない。必要なものだけしかない。

あの時の私は何を求めていたのだろうか?逃げていたのか?詩人でもなったつもりなのか?女の肢体をチラ見したかったのか?引き締まった肉体を誇示したかったのか?
それはみなそうではなく、またみなそうである。

人は、何もしていないということがないと私は思う。ボーっとしていることも何かしていることだし、無駄だとは思わない。無駄は、必要が生まれたときにはじめて生まれる。その発生までの時間は、空白、生きた空白である。空白は、次に何かが描かれるためのキャンバスである。

一人老人が毎日ロッキングチェアーに座り、一日を過ごす。この状況を無駄だと即断できるのか?
死は必ずやって来る。その最後の一筆のために空白を置いておくというのも、考えようにはあり得はしないか?ひとそれぞれ。無駄かそうでないかは後付だ。生きる。そして死ぬ。これがあるだけなのである。

名句を・・・。

「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-17 20:24 | 木陰のランプ