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エトルスキのブロンズ



古代ローマが誕生する前にイタリアで大勢力をもっていた民族、エトルスキ、イタリアを旅行されたことのある方なら一度は耳にしたことがあるだろう。従来から、エトルスキは、ギリシア文明とローマ文明を橋渡しする存在として語られてきた。今回、エトルスキの青銅器製品に光を当ててみよう。

イタリアにおいても他の青銅器時代同様、金属器に青銅を利用していた時代があり、鉄器時代以降も青銅器製品は作られ続けていた。

アレッツォの駅前に置かれている(オリジナルはフィレンツェの考古学博物館に所蔵されている)、キメラ像は夥しい数の青銅器製品の中でも白眉であろう。古代世界において、エトルスキの独創的な青銅器製品といえば、青銅鏡である。円形の鏡に手で握る把手が付いており、裏面には刻銘や図像が刻まれている。その他にも、幾体もの人物像は有名である。ヴォルテッラの細長い人物像、「オンブラ・デッラ・セーラ」、トラジメノの「アウレ・メテリ像」、神官の人物像などなど、夥しい。

時に、こうした青銅器製品は文字を刻む対象となる。ピアチェンツァの青銅の肝臓模型には神々の名が刻まれているし、コルトーナの青銅板にはエトルスキの名が刻まれている。これらはエトルスキ研究において第一級の史料となっている。

また、生活用品やその埋葬品にも多く使用されていた。副葬品の中には、「お玉」やシャンデリアから「垢すりベラ」に至るまで青銅器製品が再生産されている。

青銅器製品は、時代とともに、緑青をふき色が変わるが、もともとの色は、含有する金属の成分によって変わってくる。言い伝えでは、これ以上に存在したであろう青銅器は、キリスト教時代のイタリアにおいて、「鐘」などの青銅器製品に再利用されたそうである。

多くの製品がエトルスキの遺跡から出土し、時代も様々なことから、エトルスキがこの金属に魅せられていたのは確かである。イタリアへ行かれることがあるなら、こうした製品に注目していただきたい。


野人
by yajingayuku | 2008-10-05 14:20 | エトルスキ夜話