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水話(みずばな)

夕方、ひどい雨になった。
窓から見る通りは川のようになり、いろんなものが流れてゆく。

「うわ~、こんなところまで」

伯母の声で1階の土間を見ると、もう少しで畳敷きの居間に水が浸水しそうであった。台所の土間を見ると、瓶ビールのケースがビールを入れたまま浮いて玄関口に行こうとしている。

京都市内に住んでいた時の幼少期の思い出の中で、このウナギの寝床のような京町家の作りは、この洪水のことと深く結びついた記憶となって脳裏にとどまっている。

「ほな、戦艦でも走らすか?」

と伯父が1メートルはあるプラモデルの戦艦大和のモーターを回転させ、狭いウナギの寝床で走らせる。
われら子供たちは大はしゃぎ。こんな機会はめったにない。一層のこと、表の川になった道路でやってほしい・・・・と願ったのであった。

水の怖さ、というよりも非日常の水辺の光景に酔いしれることはままあることだ。
母方の郷里の島根県浜田市の寒村で夏場によく海水浴をした。
浜辺ではなく、漁船が舫っている港の深場で泳いでいた時のことである。
深みから陸にあがるときに足を踏み外し、溺れたしまった。
体が海中に沈んでゆくときに、ふと海面を見上げると、キラキラ、チロチロと光の乱舞が心地よくかじられた。息苦しくもなく、ただ静寂の中で消えてゆくような自分を感じた。
まわりは大慌てで海中から私を救い上げた。
ほんの少しの間に見た神秘であった。

水の美しさも、その質によってははなはだ煩わしいことにもなる。
イタリアの水質の悪さを行く前から聞かされていたが、水道水を飲んでも体には何のダメージもなかった。ただ、洗髪の際に、シャンプーの泡が立たず、髪の毛がべとつくことがあり、これには悩まされた。
サンゴ礁が隆起してできた喜界島では、イタリアと同じように、いやそれ以上に、その石灰分によってシャンプーは泡立たなかった。飛び散る水道水の乾いた後は白い模様となるぐらいであった。
水道水の生水は一度煮沸せねばならなかった。
普段気にならない水道水でこれ程気をもんだことはなかった。

私の根底にある、景観・心象のイメージには必ず「水」があります。
これからも、「水」をイメージして生きてゆきたい・・・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人

by yajingayuku | 2014-10-03 19:24 | 木陰のランプ