花火

「キャー」といって、妹は飛び上がった。線香花火の火の玉が浴衣の袖に入ってしまった。
このことがあってから、彼女は積極的に花火をしたがらないように思えてならない。

花火が場所と時、状況によっては非常に危険なことは誰もが知っている。
イタリアでは、年の瀬に花火をやる。夜になると、ヒューという打ち上げ花火の音がどこからか聞こえてきたりする。

テレビに、片手を失った少女が登場し、花火の危険性を訴えるというCMがイタリアで放送されたりする。事実、危険な取り扱いで命を落とすものも毎年出るようである。これがイタリアのひとつの現実だけれども、花火の火力の強烈さったらない。近くで誰かが仕掛けた花火が炸裂すると、ボーンと本当に爆弾(Bomba)である。ひどくなると、昼間でもどこかで、ボーンと破裂したりする。

こうした花火の危険性とは逆に、詩的な、私的な思い出も花火が演じるのも花火の魅力である。

スイミングクールのコーチと教え子の関係は、裸と裸の付き合いとはいわないまでも、手取り足取り水泳を教えていると、情が移り、恋に発展することがある。
私は、コーチ時代に、未亡人とお付き合いしたことがある。最初は、彼女を独り身のOLだと思っていた。
幾度か話をするうち、話が弾み、横浜の山下公園でデートすることもあった。
ある日、彼女を家に招いたら、別れ際に、「頬っぺた叩いていい?」と言い出した。彼女に私の下心をつかまれたように感じたものである。これ以降、私の家に来ると、彼女は、私をひっぱ叩いて帰っていった。今から思うと、私は、彼女に飼いならされていたと思うことがある。

夏のある夜、下宿先のアパートの近くを流れる川で花火大会があるというので手を取り合った出かけた。「今の綺麗だね」とか「オー」とか言いながら、夜空に輝く花火一つ一つが幻灯のごとく心に残った。
部屋の前で、そっと、体を寄せてきた彼女に初めてキスをした。その後は、ご想像のごとく燃えたのである。
花火が引き金とはいえるかどうか分からないが、この時のことは花火なくしてありえなかったと思っている。

危険な花火は、人の心にも火遊びをさせる。
花火を来る日も来る日も毎日見ていると飽きてくるように、そして花火が一瞬の芸術であるように、恋もまた飛び散る炎のごとく消え行く。

物事には、始まりと終わりがある。花火が、終わった後に来る、物寂しさは、読書の読後感に似ている。

ひとつの物語を、ひとは日々描き続けているように思う。

おしまい。
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「毒蛇は急がない」

Bayratai!

野人

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by yajingayuku | 2014-08-09 23:14 | 木陰のランプ