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大学生時代、四谷の裏町に住んでいた。そこは意外に坂の多い、起伏に富んだところだった。新宿通りを走っていて、JRの線路がもぐりん込んでいることを考えると、相当の高低差がある。私の住んでいたアパートは、裏の高台の服部半蔵が眠る墓所の下で、その脇を坂が通っている。確か、「豆腐坂」と呼ばれていたように思う。坂の下は谷間のようになっていて底を1本の道路が走っていた。「丸正」のスーパー、天婦羅屋、銭湯が直ぐ近くにあり、隠れた小さな商店街のような風情がある。
京都府城陽市の山に家があったことを除いて、京都市内も滋賀県草津市にも生活圏に坂はなかった。
城陽の自宅は、坂だらけ。両親の不和やいじめで、来る日も来る日も坂を昇ったり降りたりしていると、心に階段がついたようになる。日向と影が鮮明になってくる。
そんな折、小学校の保護者用の連絡誌の文集に私の詩が載った。
このとき初めて、「人生」という言葉を、本当の意味も分からず、直感的に使ったことを思い出す。
それから10年後、坂のある四谷に住み、大学で哲学の講読でアルベルト・カミュと出会った。
彼の文章で、シーシュポスの物語が出てくる。
シーシュポスは、神でさえ禁じられている人の死に関して禁忌を犯したため、ゼウスから苦行を強いられる。
山の頂に向けて岩を押して転がして登るのだが、頂上に着くと、岩が下に落ちて行き、また同じことを繰り返さなくてはならない。これを永劫の罰として与えられたのである。
坂を介して、少年のときの苦悩と文集、そしてシーシュポスが重なった。
重い話で恐縮だが、坂というとどうしてもこうしたイメージが明滅するのである。
かつて、ウルトラセブンの最終回で、諸星団が、アンヌ隊員に向かっていった言葉も、思い出した。
「人生とは、血を吐きながらするマラソンだ」。
今は、私は、穏やかで、心理的切迫感が弱いが、こういうイメージを自分は持っていることを肝に銘じておかねば・・・。バランスです・・・。
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「毒蛇は急がない」

Bayartai!

野人
by yajingayuku | 2014-07-28 20:31 | 木陰のランプ