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イタリア紀行 (63)

粘土の波を見回して、お目当ての、エトルスキの空間に赴く。青銅製品、陶器の類を見て、立て看板のように据え付けられたガラスのケースに目をやる。エトルスキの青銅鏡を丹念に見る。その右端に、私は目を瞠った。これぞ、日本にいたときから何度となく頭に叩きつけられていた、あのカークスの鏡である。

金銅色を全体に放ち、静かに留め金で、厳かにその体が止まっている。表面に、浅黒い刻線が走り、あの懐かしい頭で反復されていた図像が微かに浮かび上がっている。銘文もわずかに覗いている。

イタリアは、中部のボルセーナ湖畔で見つかったこの鏡は長い間放置され、2次大戦の後の研究者の目に留まった。くっきりと、そこにはエトルスキの伝説に伝えられている2人の英雄のエトルスキ語が刻まれ、中央にリュラを持つカークと刻まれた人物が描かれていた。カークというエトルスキの呼称は研究者によるとラテン語でもカークスと言う名前に置き換えられる名前だという。これが立証されてから、この人物像は多くの学者の関心を誘った。ローマの建設に根ざす、エトルスキの伝説が議論された。

この絵は、その後何百年後かに今度は小納骨容器の表面に描かれることになる。何かしらこの人物たちについての記憶が彼らエトルスキの中に沈潜していたようである。それは残る考古学的証左の少なさに比べて根強い菌糸となって人々のない奥にはびこっていたと推察される。

古代の文字に残さない原形質の物語を再構築するのはなかなか骨が折れることである。若干の古代の叙述家の残した記述を援用しながら僅かな銘文と図像でこれを解き明かさねばならない。想像力も必要になってくる。この絶え間ない事実と空想の中を行ったり来たりしながら叙述しなくてはならない。限界は深くて暗くいつまでも漂う。挫けそうになる。

日本の西洋古代史の中核になる政治史や史料分析にの潮流に当然乗れない。歴史からはみ出した残滓を拾い集めるのに当時の私は汲々としていたのである。

遺物を日光や電気の光から守るために照明を落としたエトルスキの遺物のコレクションのの中にいると、人の少なさも手伝って、とても心細い気持ちになる。

あれはタルクィニア出土の石棺だ、これはその被葬者の頭蓋骨を復元した人物の顔だ、この棺は銀製のものだ、と確認しながら自分では何処か別の惑星のものを愛でるように目を漂わせていた。

このひと時の亜空間は私には内部に充実した息吹を満たしたが、それと同時に、それがどうした、という暗いもうひとつの声がささやくのを絶えずきくことになった。

この鏡だけでも・・・。私は不安ながら何かを掬い取ったようである。

野人
by yajingayuku | 2010-04-10 13:05 |