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イタリア紀行(27)

夜に雨が降り、目覚めると抜けるような青空となっていた。ボローニャ駅前のハンバーガー屋で朝食を仕入れて、公園で朝飯をとることにした。ベンチに座って食べようとすると、芝生に寝転がっていたカップルが抱き合い始めた。朝の9時である。こんな朝っぱらから・・・。仕方なく場所を変えて、駅のホームのベンチで朝食を済ませた。

ボローニャからローカル線に乗って南下し、小さな駅、マルツァボットで列車を降りる。マルツァボット。この町はイタリア人にとって忘れることの出来ない町となっている。2次大戦のこの町で、800名もの人がナチスに虐殺された事件が起こった。所謂、「マルツァボット事件」である。元ナチス隊員10名はその後終身刑となった。暗い過去を持つこの町だが、その日は快晴、そんなことは微塵も思わせなかった。
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この町の断崖の上に広がる空間にエトルスキの町の痕跡が確認される。エトルスキの居住空間が見て取れる珍しい遺跡である。住宅街を縫って、丘の斜面を登り、開けた場所に出る。そこからは、山岳風景が広がり、眼下に険しい谷あいが広がっている。遺跡の中に入ると、足元の石が住居跡の遺構を幾何学的に仕切り、これが幾つも連続して、通りを形成し、碁盤の目のような都市を形作っている。高所での水源確保には苦労したことだろう。井戸跡や水道の遺構が幾つも設けられている。遺跡入り口右側に神殿などの聖域があり、左手の博物館の先には埋葬地が広がっている。この墓には、墓石に球体が使用されているものがあり、どこか日本のストゥーパを思わせるようである。

かなりの時間を遺跡の中で過ごし、博物館の中に入る。係りの人と話しをして、若干の写真撮影の許可を得る。驚いたことに、住居の再現を残存する遺物から作り上げていた。屋根のかわらの組み方、形状は日本のそれと非常によく似ているし、樋まで付いている。雨水は、古代の人々にとって大切なものであっただろう。工夫がしのばれる。陶器類、金属器類などの展示とともに、この近辺で採掘可能だった鉱物資源の分布図も掲示されていた。ここはエトルスキの生活空間を想像できる稀有の遺跡である。こうした遺跡は発掘しようにもその上では現在も人々が暮らしているために不可能である。

夕日が赤く遺跡を染め始め、駅には小さな電車が入ってくる。ローカル線に揺られながら、水を一口のみ、古の都を想う。ボローニャとフィレンツェに挟まれたこの谷あいの地にエトルスキは確かに存在していた。エトルスキの民の顔が見えるようである。

次は、南か・・・。

野人
by yajingayuku | 2009-08-25 05:07 |