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イタリア紀行(16)

今度は大丈夫だった。キウジの駅前には幾つものバス停があり、頻繁にバスが出入りしていた。キウジは近郊に温泉地を抱えているために電車の乗降客が意外に多い。この町も駅とチェントロは離れている。町の中心部のある丘の頂き目指してジグザグの坂をバスがあがって行く。チェントロ入り口のドゥオーモのとなりでバスを降りる。とても小さな町であるが、れっきとしたエトルスキの町として世界にその名はとどろいている。カメラのフィルムがきれたので、土産物屋で数本購入する。ついでに、キウジの絵葉書を何枚か買う。ドゥオーモの前の広場には小さな鐘楼が建っている。祭りの時期になるとここを御輿を担ぐ男達が疾駆してゆくと言う。教会の中は薄暗く、内部の柱の作りはどこかエキゾティックであまりイタリアではないような形をしている。併設している教会博物館を見る。

広場と道を挟んで向かい側にあるのが、国立エトルスキ博物館である。地上1階地下1階で正面はギリシア神殿風のつくりをしている。入り口外に既に溢れかえっている遺物の数々。入り口内部を右に進むと嬉しい限りの石棺の群れ。客がいなかったので、学芸員は研究者と私のことを認めるや、写真撮影を特別許可してくれた。これはしめたものである。先ず石棺から収集に当たる。次いでカノープス類、石柱、陶器類、青銅製品そして小型納骨容器群。かなりの数の納骨容器が所蔵されている。そう言えば、イタリア中でエトルスキの小型納骨容器が多数あるのは、ペルージア、ヴォルテッラ、そしてキウジの3都市であり、集中的に生産されていたのを思い出した。ここで改めて発見したことは、そうした棺・納骨容器が彩色されていたという事実である。ローマなどの彫像・彫刻作品・建築物が彩色されていたのと同じである。それもかなり派手に彩色されていたようである。
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この博物館の地下にお目当ての納骨容器がある。「カークスの納骨容器」私の研究の最初の遺物のひとつである。上部、正面、左右側面、くまなく写真に収める。この部屋の特徴は遺物のコレクションが発掘場所ごとに展示されている点である。そのため、ドゥオーモの地下からの遺物もまとめて展示されている。その遺物の中には黄金の十字架も出土していた。「ゼロの墓」からの出土品のなかには、人が入れるほど大きな壺があり、その中に剣や武具とともに人骨が納められていた。納骨容器などに使われた石材の分布図なども掲示されていた。これに目を通していると、学芸員が、「これが欲しいかい?でも手続きが面倒だしなぁ・・・、写真にとって帰れば?」写りが悪いが一応写真に収めた。私が彼に、「キウジはとても重要な場所。エトルスキ文明の中心地のひとつだと思います」と話しかけると、「その通り」とニコニコして答えてくれた。

どれぐらい博物館にいたのだろうか、もう閉館時間を過ぎていたにもかかわらず、係りの人は気遣ってくれて、私を長居させてくれたようである。外に出て水を飲みながら大役を果たした安堵感を感じた。キウジは、そのエトルスキの王、ポルセンナが統治していたことで古代の書物で有名であった。王の死後、その霊廟が何処かに建てられ、今も発掘を待っている、という噂が各世代を通じて信じられていた。ある者は、それが迷宮・迷路であるとしていた。近年の調査では、キウジの地下には古代から今までに作り上げられた水道・洞窟が無数にあるそうである。

町を一回りして、キウジのエトルスキの聖域地域を訪れた。今は広い公園になっているが、所々、遺跡のあとを確認できるように整理されている。ここから北に向かってオリーブ畑に墓が点在している。今回初めて訪れた時点ではここまでであった。帰りにバス停でバスを待っていると、浅黒い顔をした外国人と思われる青年が近づいてきて、「今日はストでバスは来ないよ」と不吉なことを言い放った。内心極度の不安に駆られていると、1台のバスが私の前で止まった。どうやら臨時にバスが動いていたようである。「それにしても今日はついている」バスに揺られながらキウジを噛みしめていた。

野人
by yajingayuku | 2009-08-14 00:35 |